娘に早くから感情の言葉を教えたかった理由

雑記

自分の人生を振り返ってなのですが、私は家が好きではなく、大学生の頃からバイトで生計を立てて一人暮らしをしていました。大切な2人の娘たちにはそうなってほしくなくて、家が一番の逃げ場所であってほしくて、まだ発語がままならない時から伝えていることがあります。

 

「嬉しい」

「悲しい」

「寂しい」

これらの感情の言葉を、ままに教えてね、伝えています。

「ママがいなくて、泣いちゃう時は悲しいっていうんだよ」

「ママに見てもらえなくて、泣いちゃう時は寂しいっていうんだよ」

「一緒に遊ぶと楽しいね!嬉しいね!」などと会話していました。

今、イヤイヤ期まっただ中の2歳児えーたん。自分の思い通りにいかないと、

「えーたん、悲しい」

お手伝いが上手にできて褒められると

「えーたん、嬉しいし、ままも嬉しい?」なんて言ってくれます。

私が寝室からソォ〜っと出て行って、いないのが見つかると、

わんわん泣きながら「えーたん、ままがいないから寂しいじゃん」

といってきます。

 

ただ、えんえん、わんわん、泣かれるより、理由を言われると、

ぎゅっと抱きしめてあげたくなるんです。

この素直に感情をぶつけてくれることを大切にしてあげたいなと思っています。そして、彼女たちのお話や言い訳を真摯に聞いてあげたい。

 

それは、私の幼少期の心にしこりを残す思い出があるからなのですが…。

 

厳格な父には「口答えは一切するな」と、障害児の兄に手がかかりいつもイライラしていた母からは「話しかけないで」とよく言われていたことに傷つき、感情を隠すようになってから、私の思春期は屈折したものとなりました。

自分の気持ちを表しても、あまり肯定はしてもらえなかったような気がします。振り向いてもらいたくて、勉強や習い事も頑張れど、アラを探して怒られてしまうのでした。 …。そんなこんなで、「話をしたい」気持ちは薄れ、家族との絆は疎遠になっていってしまいました。

思春期を経て、30歳くらいの頃、母から

「今まで、お兄ちゃんばっかで、寂しい思いをさせてたよね、ごめんね」

と謝られたことがあります。母親もどうやら、心にしこりがあったようでした。母だって子育ては大変だったに違いありません。私の兄は最重度の自閉症だったので小学生までは多動(じっとしていられない)で本当に大変でした。妹の私も腕を本気噛みされて逃げまくっていたものです。(中学生から穏やかになり、現在は支援施設で就職をしています)子供を持つ今でなら、その大変さがわかるような気がします。兄の精神年齢は3、4歳のまま、止まってしまっているのですから、ず〜っと手がかかるのって、気苦労していたのだろうな…。

 

私は幸いなことに、二人の娘を40代で授かりました。私のような家庭環境ではないけれども、私は娘たちに「家に帰ってきたぁ〜、ふぅ」と息を抜いてもらえたらなと思っています。

話すことに身構えることなく、何でもお話しできたらいいな。

私が親に甘えられなかった分、娘たちには感情をたくさん口に出して伝えて欲しいのです。

今、2歳児えーたんは発語爆発期をむかえています。たどたどしくも、頭の中で一生懸命整理して、お話ししてくれるのを、とても嬉しく思っています。

彼女と向かい合いながら、ワクワクして聞いていると、2歳児えーたんが、「ん〜とね、なんだっけ」と言葉に詰まることがよくあるのですが、

話を端折らないで、最後まで聴き役です。その言葉を一生懸命探している姿は健気でもあるし、頼もしくもあるので、嬉しいひと時です。

すこ〜し、時間が止まって、二人だけの大切な共有時間で…。

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