生前、母が私に遺したノート

雑記

死にまつわる回想です。抵抗のある方は読まないでください。

私が死んだら…この子たちは、どうなるんだろう。ふと、頭をよぎることがあります。

なぜならば、私の両親は両親共に60前後でガンをわずらったから。父も母も末期で発覚してから父は6ヶ月、母は2年で逝去しました。

父は私が18歳のころ、母は38歳の時に。

母がガンをわずらった直後、3人の子供のうち、私にだけ託したものがあります。

それは、

「エンディングノート」

とかかれたB4サイズノート。

それは母が亡くなったら行う手続きについてのノートでした。

資産や土地、保険にかかること、死去後の形見分けの方法、友達への連絡先、墓の守り方などなど。

そして、自閉症の次男の世話に関して。

次男はすでに親を離れグループホームで暮らしています、そしてしっかり働いています。

勤務先や、ホーム、ガイドボランティアさんへの連絡先、保険などの手続きなどが細かくかかれていました。

ノートのおかげで、私は、葬式をどのように手配したらよいかを、母の余命がすくなくなった時、誰に連絡をするべきかを知りました。

死後、長男は仕事で忙しかったので、葬式手配や、財産手続き、形見分け、お返しなどを私一人でやってのけたのは、母のおかげです。

母の意思をつぎ、兄のお誕生日や母の法要には必ず、彼の大好きなご馳走を食べに行っています。

私は40歳…身体に気をつけていかないとです。パパは家計にとても疎く、すべて私任せです。もし私の身に何か起きたら…意識がなくなったら…相当大変だとおもいます。

毎日、お掃除しても片付けしても、2人の姉妹にぐちゃぐちゃに。常に「まま、みて!」状態なので、なかなか整頓はできないのだけれど、近いうちにノートは作っておかなきゃなと考えています。

もひとつ、近いうちに用意しなきゃなのが、

災害用荷物。

2歳児えーたんが生まれてすぐ、スタンバイし、1歳で荷物の更新をしていたのですが…

2歳になり、さえぽんが生まれたりで、災害用荷物の更新をしていませんでした。

おむつや、離乳食は見ておかなくちゃ…です。ヘルメットも買い足そう。

最後に。

両親ともに、自分が末期と知り、

ふたりともショックで鬱病を患いました。とても気丈な両親だったので、とても意外でした。死が身近にせまった恐怖…想像できません。

父は幸か不幸か、一番苦しいと言われている時期に脳梗塞も併発したので、痛みを麻痺させたまま最期をむかえることができました。

母は死去する1ヶ月ほど前から体調が悪化し、モルヒネのような疼痛を緩和させる薬すら効かない、本当に痛みとの壮絶な戦いでした。

母が弱っていく中で、えーたんはまだ0歳でした。そして1歳のお誕生日を迎えた2ヶ月後に母は逝去し、翌年さえぽんが誕生しました。

私が長女えーたんの陣痛時、「ごめんね、そばにいてやれなくて、産後もみてやれなくて」と母からラインが入りましたが、母も闘病中でしたので、「大丈夫だよ、パパいるから」と返事をしていたのに、

母は、痛みをこらえて、陣痛の応援に長距離バスで駆けつけて来てくれました。振動が身体にひびくであろうに。そして、えーたんを出産後「こんなんでびびりなさんな、あたしは3人産んだんだよ、じゃ、無事そうだから、あたし帰るね、痛いし」と捨てゼリフですぐに帰って行った母。

本当に母は強しです。

もっと、もっと向き合って話をしておけばよかったな…。

子育てをしていると、よく感じます。

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